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FF15をプレイして感じたゲームの素晴らしさと原点、感想

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ども、
桜庭パスタ郎(@apapway)です。

10年ほど待ち望んだ人もいた、圧倒的超大作FF15がついに発売されました。
ボクは正直スルー気味だったのですが、発売にあたっての映画を見た時にスタッフの熱量とその完成度の高さに感動して
「これはゲームが好きだったものとしてプレイしないといけない」
と感じ、なんとか発売日前後からプレイを見て物語を感じ、作った熱量を浴びようと思ってました。

結局自分で購入するにはハードルが高かったために友人の家にこもらせてもらってプレイを見つつ自分もちょこちょこプレイをさせてもらいました。

そんなFF15から感じたことをつらつらと書きます。


ゲームってやっぱり素晴らしいなぁと思いました。
シンプルにわくわくするんですよ。
小さい頃からゲームありきで育った自分にとって、ゲームはきっと自分にとってのクリエイティビティの部分であったり、物語を感じる能力であったり、その基礎になっているはずです。
大きくなるにつれてゲームに対して時間をあまり割かなくなってしまっていたのですが、ここでFF15をプレイすることができてよかったと感じております。
デザインひとつ、システムひとつ、スタッフのこだわりがあるんだよなぁとFF15をプレイして「ああ〜」となってました。笑
メニューのアイコンであったりとか、効果音であったりとか。
FF15はそういった箇所に遊び心が内蔵されていて、昔のゲームのよい伝統を現代に引っ張ってきてくれた気がします。

写真のシステムがあって、宿に泊まるたびにそれまでの出来事の中で自動的に写真がとられていて、定期的にその撮られた写真をチェックして保存ができるんです。
これって本編にはまったく関係ないですし、必要のないシステムです。
でも、スタッフはこれが好きだったんでしょうね、キャラクターへの愛とも言えるかと思いますが!
この、必要のない部分にどれほど愛が込められているかは、スタッフの熱量のわかりやすい部分かもしれません。
FF15ではその愛を存分に感じることができています(まだクリアしていません)

いやーしかし、あのディスクに、あの箱に込められたスタッフの実現したい映像、物語、感動、熱意。
すごいですなー。
たったあれだけの大きさなのにすごいなー。

ゲームの世界には僕たちが生きるような制限と違う制限があり、それが新鮮で面白い。
ようはコンピュータの世界の中で動くゲームには僕たちの世界からみると制限がないようにみえて新鮮さを感じます。
人間を自由に作り出せるし、物だって自由自在です。
ゲームの中の世界で浮かすことができれば自由に破壊することだって可能です。
そこにロマンを感じてしまったりだとか、理想を重ねてしまうことができちゃうんですよね。

あとFF15はプレイしやすさが随所に考えられているなぁ感が強いですね。
なんだかなげやりにならずにユーザにできるだけ寄り添おうとしてくれている感覚はあります。
どうだ!こんなゲームだぞ!プレイしてみろ!って感じじゃないんですね。

ただ1人でプレイは少しさみしさを感じてしまったのも事実。
あまりに世界が広大になりすぎていて、隠された宝箱的なのを探してると寂しくなっちゃうんですね。
純粋にゲームが好きだった自分からすると、これは一種の病気のようなものにかかってしまったのかも。
あと途中で飽きてしまわないか、投げ出してしまわないか怖くなってしまうのもなんだかな、と。
急に忙しくなったりタイミングがわるいと中断してしまって再開しなかったゲームがぼちぼちあるのでその恐怖があって早く最後までやらないとという気にさせられてしまってます。
なんだこれは。

やっぱり若い間にやりたいことは思う存分、時間をかけてみる、というのは大事だと考えさせられちゃいました。

今後自分が表現していく世界はある意味ゲームの世界とおなじでコンピュータの世界の上で創作することになります。
ゲームを作る熱意、自分の中に眠るアイデアを具現化して相手に届けるすばらしさは、何歳になっても、いつでもゲームから感じてそれを活かし続けたいものです。

FF15,ありがとう!素晴らしいよ!

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